Tuesday, 10 December 2019

nepal diary part 2: leaving kathmandu

9/18 雨
午前中科研費の申請書直し。昼からICIMOD訪問。

ランチを一緒に食べ、EMS荷物の確認と仕分け。


こっちがRikha Sambaに持って行くもので、


こっちがTrambau用にデポしておくもの

って、区別つかないよね。実は同じ自動気象計(AWS)のセットを二つ送ったのだ。





ポーター足りないよ、というTikaの意見で追加のポーターを二人依頼。そりゃそうだ。

一緒に行くDenisは長岡でポスドクしてたとのこと。そういや、「受け入れ教員のnobbyが副学長とかなっちゃって、放置されていてかわいそうなポスドクがいる」って話をmatoさんから聞いたのを思い出した。植竹とルエンゾリとか一緒に行ってたらしく、仲が良いらしい。

Cryosphere GroupのリーダーのAnnaといろいろ相談。
ICIMODと環境学研究科で協定書を結ぶ方向で進めることに。スイスのWSLとの協定書を参考にさせてもらい、まずはLetter of Intentの作成から。

ランタンのアセスメントがどうなっているか?と聞かれるが、個人的には「最低限のハザードマップは提供した。土地の共有をできるかどうかは住民次第でウチらが口出しできることじゃないよね」と思う。naramarさんらが観測継続しているとの話を伝え、仲を取り持つことに(メール済み)。

ヤラ氷河がかなり末期的だそうで、代替氷河として対岸のガンジャラ氷河を検討しているとのこと。shiroさん達が観測してたことがあることを伝え、仲を取り持つ(メール済み、そういや返事ないなぁ)。

Tikaの論文については山で直接相談する。他にもヤラの質量収支とか、BCの影響とか、いろいろネタとデータはある模様。

ICIMODバスで帰着。車中はArunと一緒。1994年にCameronとヒドゥンバレーにいっていたのだそうだ。この春のNatGeoのエベレスト調査では、PaulがエベレストBCで風邪にかかり、一度KTMへ運ばれたそうだ。そこで一応回復して、山に戻ろうとするのでArunが止めたら、「俺は科学のために死ぬなら本望だ」とか言って戻っていったとか。なんかVladimirもそんなこと言ってたことを思い出した。
いやぁ〜山で死なれたら下ろすの大変だから勘弁してよ

近場のATMでのルピーのキャッシングに二度トライするもうまくいかず「PW抜かれたか?」と心配になる。結局ピザ屋「Fire&Ice」横のATMで2万Rs引き出せる。最後の画面が真っ白でどうしたらいいかよくわからなかったが、下の選択肢ボタンを押したらうまくいった。
何じゃそりゃ
デビットでの直引き落としなので、すぐに金額がわかってよい。変に増々されてはいない模様。500Rsの手数料とられるので、どうせ引き出すならなるべく多くした方が良い。
4万Rsが一度に引き出せる最大額

夕食は再度インドカレー。トイレットペーパーを仕入れてホテルへ。


9/19 小雨
400起床し、日本へいろいろメール。
650チェックアウト、715出発、830お茶、1140-1210ポカラの手前でランチ。1320ポカラ通過、1400サランコットで休憩、1715ベニ到着。
さすがジープ、速くて怖い。腰にくる。

ポカラ市内:bloggerに直接アップロード


こっちはyoutubeにアップロード
初youtube!!これでおいらもyoutuber!!

ポカラは都会になっててがっかり。


サーダーのPasangはエベレスト登頂11回、K2をシェルパとして第二登した猛者。クンブのターメ出身。

ベニの夕食では熱して融けたバターをバートにかけてくれる。ネパール長いけど初めて!うまいっ!

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