今回の掘削は
中央アジアで深層掘削するぜ!
という、長年の研究パートナーである、ロシア出身のアメリカ人Aさんの野望の総仕上げとなるべきものでした。Aさんとは、2000年以降、
ベルーハ@ロシア・アルタイ2000-2002
グリゴレア@キルギス天山2005-2007
フェドチェンコ@タジキスタン・パミール2009
と、あちこちで掘削を一緒におこなってきました。日本側は主にC大の腹黒先生ことTさんとcozyが中心となってきました。
で、本来は2009年のフェドチェンコで試掘をして、、、
というプランだったのですが、タジクのヘリパイロットが
「わし、5000mまでしか飛べないねん」
と、中途半端なところで降ろされ、
仕方あるまいと掘削を開始したら
4mで水が出て
人力でドリル機材を500mほど運搬移設して再度挑戦したら
10mで水が出て
で、あえなく敗退したわけです。
まぁね、掘削サイトの近くにこんな池が凍った跡あったくらいだから。。。
その後、コアも予算も無い、厳しい時期が続きましたが、何とか論文をいくつか出版し、新たな掘削をするための予算(NSF)をゲットでき、再度フェドチェンコに挑戦するための機運が高まってきたのがここ二年ほどの状況でした。。。
背景書いていたら長くなってもうた。
つづく
中央アジアで深層掘削するぜ!
という、長年の研究パートナーである、ロシア出身のアメリカ人Aさんの野望の総仕上げとなるべきものでした。Aさんとは、2000年以降、
ベルーハ@ロシア・アルタイ2000-2002
グリゴレア@キルギス天山2005-2007
フェドチェンコ@タジキスタン・パミール2009
と、あちこちで掘削を一緒におこなってきました。日本側は主にC大の腹黒先生ことTさんとcozyが中心となってきました。
というプランだったのですが、タジクのヘリパイロットが
「わし、5000mまでしか飛べないねん」
と、中途半端なところで降ろされ、
仕方あるまいと掘削を開始したら
4mで水が出て
人力でドリル機材を500mほど運搬移設して再度挑戦したら
10mで水が出て
で、あえなく敗退したわけです。
まぁね、掘削サイトの近くにこんな池が凍った跡あったくらいだから。。。
その後、コアも予算も無い、厳しい時期が続きましたが、何とか論文をいくつか出版し、新たな掘削をするための予算(NSF)をゲットでき、再度フェドチェンコに挑戦するための機運が高まってきたのがここ二年ほどの状況でした。。。
背景書いていたら長くなってもうた。
つづく
No comments:
Post a Comment